サルトルの言葉
サルトルという哲学者がフランスにいた。
死に向かって生きるとか、実存主義など一見すると「めんどくせぇな、コイツ」なことをおっしゃっている。
なんだけれど、引っかかる文節があってここに書いておこうと思った次第。
以下引用。
自由であるとは、望んだものを獲得するという意味ではなく、選択するということを自分自身で決定するという意味なのである。
自分の行動が非常に重要であるかのように考えたり、なんらかの普遍的な道徳的価値体系に沿って生きようとしたりするのは、ある種の自己欺隆である。われわれが何者になるのかをそのつどみずから選び、人生を完全な自由から生まれる芸術作品のように創造することではじめて、われわれは人間としての自分の可能性に気づくのである。
やはり、めんどくせぇこと言ってるんだよなー。
ただ、なんで引っかかったのかというと、この自由に対しての考え方は今後のアフターコロナの先にやってくる「ロボット、AI」の時代に必要なものになるからだ。
そう遠くない未来は、ほとんどの仕事はAIとロボットが人間の代わりに働く。
余った人間は、ロボットが稼いだお金を分配して収入を得る。いわゆるベーシックインカムであり、その財源はロボットが稼ぐということである。
WHOが発表した資料の中に、2050年の世界で最も多い疾病は何か?
答えは、鬱病。
全世界の人が鬱病との共存に多くの関心と時間を割かれるはずで、私は根本的に生きる思想を塗り替える以外に自己を守る方法はないと思う。
特定のものだけを頼りにすると偏ってしまうので、いろんな思想を学んで「自分の考え方」を確立することが処方箋になるのではと考えている。
「まじめに打つ薬はない。」
2050年、もしかしたらこう言われて医者に見放されるかもしれない。
多くの人はコロナのときに、変わるチャンスをふいにするだろう。
うっすらと時代のフェイズが切り替わるのが見えているのに、見えないことにしてやり過ごす。
立ち向かうことよりもやり過ごすことを由として生きてきたからしょうがない。
物事に正面から向き合わなくても、たとえ後ろ向きでも立派に立ち向かっているといえるのに。それさえしなければ不都合を受け入れることしか選択肢が無くなるというのに。
この数年を生き抜いた者だけが未来を生きることができるのだろう。
生かされて生きることはクソほどの価値もないことに気付いて絶望して病になる。
とんでもない時代に生きたものだ。と素直に思う。
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