2020-08-13

未来のご褒美

「イクメンにはならない!」と息子の生後まもなくして宣言してから、もうすぐ7年になる今日この頃。

ずーと考え続けてきた「父親像」について、自分なりに答えがでたから書き記してみる。

たとえば、父と母と子供がいると、父はなにが求められるのだろうか?

あるべき父親とはどんなものか?

生まれてきた我が子を前に、父親としての自覚とともに、湧いてくる自問自答のテーマ。

私は、息子が生まれてすぐはイクメンになりきろうと思っていたが、すぐにそれを自ら覆した。

その理由はただの直感でしかないが、「家庭とビジネス」の感覚があまりにも異質であって、共存することができないと感じたからだ。

砕くと、イクメンを頑張るとビジネスの感覚が鈍り、ビジネスに傾くと家庭が重く感じる。

イメージで言うと、家庭は「安定を好み」ビジネスは「変化を追求する」この違いを感じとっているのかもしれない。

あくまで、これは私の感覚であって、万人に当てはまるとは思っていないことは注意書きとして。

そんなこんなで、イクメンは中退して「奥さんのフォローと家族の後ろ支え」に徹することを決めた。

簡単にいうと、子供のお世話をする人のフォローと、家族として向かっている方向の微調整をすることを任務として自らに課した。

なぜかと言えば、その役目は私の家族の中では私しか担えなかったからだ。詳細を言うとそこにポジションが空いてたから。

苦し紛れを言えば、「人間は哺乳類だから」。
幼き頃は母がお世話をするのがベストだと思っている。
母にしかできないことはあっても、父にしかできないことは特にないから。

それよりも家族の中での役割を探した方が、皆に感謝されるに違いない。そう思った次第だ。

しばしば、子育てをしている中で、なにが喜びかと聞かれれば、「楽しそうにしている我が子を眺めているときだろう」と思う。

そしてここからが本題になるのだが、「父親はどうあればいいのだろうか?」これを考える。

厳しくも優しい父。これを目指したいのだが、実践すると意外に組み合わせられないことに気づく。

子供の年齢にもよるのだが、この相反する複雑な状況は、幼ければ幼いほど理解ができるものではない。

子供から見たら、「優しい」か「厳しい」かどっちかしかない。

さて、ここでどちらを取るか?

個人的には「優しい」を取りたい。そりゃ、そっちがいい。ダイレクトに気持ちの良い環境に浸れる。

しかし、ここであることに、つい最近私は気づいた。

「父の優しさとは、父への感謝と言い換えられる」
時間軸が違うだけのこと。

父の優しさとは、目の前で起こることで、「たった今のこと」。

父への感謝とは、「将来、子供が気づくこと」。

この何気ない言葉の違いに、長年探していた父親としての「理想像」を見つけたり!と思わずにはいられなかった。

誰かからみたら違うかもしれないが、少なくとも私にとっては紛れもない真実だ。

つまりは、子供から今現在の「父」をよく見られる必要はない。むしろ厳しく逆らえない相手と思われていて構わない。
ただ、理解してくれる「理解者」であることは必要なんだが。

そして、いずれ子が成長したときに、一瞬でもこう感じてくれればいい。

「親父のおかげで・・」といつか感じてくれたらそれでいい。

その時に「父の何十年分の苦労が、報われる時なのかもしれない」。
その頃には、頼もしい息子の背中を見れるのかもしれない。

残念ながら、「その時」はきっと、私の「群れ」から出て行こうとしている時なのかなと未来を想像する。

はやく成長した「背中」に見惚れたいものだ。

「男」がひとりの男の子を「男」に育てるには、これがいい。

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